旧日本軍の短剣術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 07:05 UTC 版)
明治維新後に発足した大日本帝国陸軍は、フランス陸軍から教官を招聘し、フェンシングと西洋式の銃剣術を訓練した。明治20年(1887年)、フランス人教官が解雇帰国すると、フェンシングや西洋式の銃剣術を取りやめ、日本の伝統的な剣術や槍術を元にした独自の剣術・銃剣術を制定する動きが起こった。 その後、第一次世界大戦において塹壕戦でナイフが役立ったことから短剣術の研究も進められた。日本剣術の小太刀術を基に研究され、大正10年(1921年)に短剣術が制定された。短剣術とは、着剣(銃剣を小銃に装着)していない状態の銃剣を用いる戦技である。 昭和20年(1945年)に敗戦すると、日本軍は解体され、GHQ指令により武道が禁止された。
※この「旧日本軍の短剣術」の解説は、「短剣道」の解説の一部です。
「旧日本軍の短剣術」を含む「短剣道」の記事については、「短剣道」の概要を参照ください。
- 旧日本軍の短剣術のページへのリンク