旧・ケニアサッカー連盟 (KFF)
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「ケニアサッカー連盟」の記事における「旧・ケニアサッカー連盟 (KFF)」の解説
旧・ケニアサッカー連盟(Kenya Football Federation、KFF)はイギリス植民地時代の1946年に設立され、1960年にFIFAに加盟した。1963年に国内最高峰のリーグであるケニアナショナルフットボールリーグ(現在のケニア・プレミアリーグ(英語版))を発足させ、代表チームの統括などを行っていた。 しかし、ケニア・プレミアリーグとKFFの関係が悪化し、ケニア・プレミアリーグ (KPL) の参加クラブは、従来のリーグを脱退し、新たにリーグを運営する有限責任会社として2003年にリーグ運営のための新法人を設立、KFFとの対立が続くことになる。そして、この両者の調停にケニア政府が乗り出したことからFIFAがこれを「政府の連盟への介入」と判断し、2006年1月にはFIFAとKFF、ケニア政府、CAFとの間で独立性の保持を誓約する合意書が交わされたが、これが守られず、2006年10月25日にはKFFを資格停止処分とし、ケニア代表等の国際試合への出場停止処分を科した。 2008年、プレミアリーグに参加するクラブのオーナーを中心として新たにフットボール・ケニア・リミテッド(英語版)(FKL) を設立。これをFIFAが国内統括団体として承認したことから、KFFが「有限責任会社が国内統括団体であることは不適当である」として、国内統括団体としての地位の確認を求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴する事態となった。CASは2010年4月27日、KFFの訴えを退け、FIFAに対しFKLをケニアのサッカー統括機関として引き続き認めるよう要請した。KFFはこの裁定に不満を示し、対立は継続したもの、最終的に2011年にKFFは解散し、2011年11月にはFKLが有限責任会社としての形態を解消、新たなケニアサッカー連盟(Football Kenya Federation、FKF)が設立された。FKFの新しい幹部のほとんどは、FKLの以前の幹部が引き継ぐ形となった。
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