旧ハプスブルク君主国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 15:34 UTC 版)
第一次世界大戦に敗れた後、オーストリア=ハンガリー帝国は解体され、複数の小さな共和国に分裂した。しかしハンガリーでは王制が復活し(王なき王国)、最後の国王カール1世の復帰運動が起きた。その後、カール1世の皇太子であったオットー・フォン・ハプスブルクが1930年代におけるオーストリアの君主制復活運動を指導し、大きな影響力を持った。当時のオーストリア独立維持派の間では、ナチス・ドイツとの併合を阻止するにはハプスブルク家の下での君主制復活が最良の方法だと考えられていた。 現在、オーストリアではシュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツ、チェコではチェコ・コルナ(チェコ語版)といった王党派の政治団体が活動している。
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