日露外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 17:35 UTC 版)
「アレクサンドル・パノフ」の記事における「日露外交」の解説
2003年10月、離任を控えた日本記者クラブでのお別れ会見で、「私の生まれはモスクワだが、外交官(としての私)のふるさとは日本だ」と述べた。 2013年7月11日、ロシア国営ラジオ『ロシアの声』で、北方領土交渉に関する日本のリーク(情報漏洩)文化について苦言を呈した。18日付のロシアの『独立新聞』に日本の元外務省欧州局長の東郷和彦(京都産業大学教授)と「日露平和条約交渉問題の解決に向けて」と題する共同論文を発表した。その論文で北方領土問題について、1956年の日ソ共同宣言に基づく歯舞・色丹の2島返還と国後・択捉両島での共同経済活動を同時並行的に協議する案を提案した。佐藤優(作家)はこの論文について「今後の北方領土交渉にとって、実現可能性のある指針になります」と評価した。
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