日露の協約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 00:22 UTC 版)
「セルゲイ・サゾーノフ」の記事における「日露の協約」の解説
ドイツとの関係に固執していたにもかかわらず、サゾーロフは極東におけるロシアの国益にも注意を払っていた。日露戦争での大きな痛手をきっかけに、彼は日本に向け着実に友誼を申し込んだ。その結果、1912年7月8日、サンクトペテルブルクで、内モンゴルにおける双方の国益にかかわる境界画定(英語版)に関する秘密協定が結ばれた(第三次日露協約)。両国は内モンゴルを外モンゴルから政治的に切り離すことを決定した。4年後、サゾーノフは中国における両国の国益を守るために日本とのあいだに攻守同盟(1916年7月3日の第四次日露協約)を結んで、自らの業績に加えた。
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