日本IBM藤沢事業所とは? わかりやすく解説

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日本IBM藤沢事業所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 02:22 UTC 版)

日本IBM藤沢事業所(にほんアイビーエムふじさわじぎょうしょ)は神奈川県藤沢市(桐原町1番地)にかつて存在した、日本アイ・ビー・エム(米国IBMの日本法人)の事業所。コンピュータ関連の工場と開発研究所があった。

2002年12月に日立製作所がIBMのハードディスク部門(IBM藤沢工場を含む)を買収した。買収直前に日立製作所からハードディスク部門が分社した日立グローバルストレージテクノロジーズ(日立GST)と統合し、日本法人の拠点として株式会社日立グローバルストレージテクノロジーズとなった。のちに日立GSTがウエスタンデジタル (WD) に買収されて株式会社HGSTジャパンへ商号変更、その後WD内でHGSTが吸収されて現在はウエスタンデジタルテクノロジーズ合同会社の事業所である。

概要

神奈川県藤沢市の北部、桐原工業団地と呼ばれる所にコンピューター工場を設立した。桐原町1番地、敷地面積:11万8千平方メートル。近くにいすゞ自動車の主要工場もある[1]

藤沢工場

日本IBMの工場は第二次世界大戦後、まず東京都大田区糀谷羽田飛行場近く)に輸入品調整工場が設立され、次に千鳥町工場大田区千鳥町)へ移転してパンチカード・システムIBMカードIBM 1440コンピューターなど製造を行なった。

その後1967年にはIBM藤沢工場(藤沢市桐原町1番地)を設立・移転した。

藤沢工場では、次のような製品を製造した。

1971年のIBM野洲工場の開始と共に、System/360System/370IBM 4341などの製造はそちらへ移動し、大勢の社員も慣れない関西の環境(借家の敷金は関東の約二倍[3]など)へ移った[4]

2002年12月に日立製作所のIBMハードディスク部門(IBM藤沢工場を含む)買収により、日本IBM藤沢事業所は日立グローバルストレージテクノロジーズ(日立GST)へ売却された[6]。2012年のウエスタンデジタル (WD) 日立GST買収を経て、2023年現在はハードディスク部門の日本法人がおかれている。

藤沢開発研究所

1972年に、新製品・サービスを開発するIBM日本開発研究所 (IBM Japan Development Laboratory) を開設した。のちに藤沢駅近傍へ移転し、1975年に藤沢事業所内で工場に隣接して増築したIBM藤沢開発研究所へ移転した。

藤沢開発研究所では次のような新製品・サービスを開発・発表した。

世界向け
  • IBM 3767 - プリンター端末機 & SNA ( 1974年)
  • IBM 3276 - 3270表示・制御装置 (1975年)
  • IBM 3101 - ASCIIコードを用いた表示端末(1979年)
日本および東アジア向け

1985年に、藤沢開発研究所は新築のIBM大和事業所神奈川県大和市)へ移転して、IBM大和開発研究所と呼ばれた。

アクセス

協力会社

工場関係
  • 株式会社アイメス(IMES、本社:藤沢市桐原町)[7][8]

脚注

関連項目

外部リンク




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