日本電気音響研究所
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1934年(昭和9年)、坪田耕一が「日本電気音響研究所」を設立。坪田は前年に早稲田大学理工学部を卒業したばかりだったが、在学中より円盤録音機のカッターの研究をしており、1938年(昭和13年)には日本フィルモンに入社し、国産初の円盤録音機を完成させる(日本フィルモンは1940年(昭和15年)に解散)。 当時はまだ磁気テープ録音機の音質が実用にならないほど悪く、録音/再生は円盤録音機やオプティカル・サウンドで行われていた。円盤録音機はレコード会社などで使用されていたが大形のもので移動できなかった。オプティカル・サウンドはトーキーに使われるもので映像も一緒に撮れるが、現像を済ませないと再生できなかった。そのような時代の中、1936年(昭和11年)に行われたベルリンオリンピックの放送にテレフンケン製の小形円盤録音機が使用され、録音して直ちに再生できる即時性が放送に貢献した。その威力を知った日本放送協会 (NHK)は1940年(昭和15年)に開催が予定されていた東京オリンピックに向けてテレフンケン製円盤録音機を導入するとともに、国内企業による国産化を目論んだ。その中には国産初の円盤録音機を完成させた坪田も当然含まれていた。ただし東京オリンピックは1938年(昭和13年)7月に実施の返上が決定された。
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