日本銀行の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:50 UTC 版)
三野村利左衛門の病死についで三井銀行を襲った衝撃は、日本銀行の設立と官金取引業務の縮小であった。すなわち1881年(明治14年)松方正義が大蔵卿に就任し幣制整理とインフレーションの収束に着手したが、その中核をなしたのは日本銀行の創立であった。そして国庫金取引は日銀の重要業務の一つと定められ、これまで三井が行ってきた為替方は全廃されることになった。また日銀創立に際し、三井銀行の総長代理副長三野村利助が同行理事に任命された。そして三井は消極主義になって節約をはかり、貸出金の回収に努めた。その結果1883年(明治16年)から17年にかけての民間預金は1000余円減の横ばい、官金預かり高は94万余円の激減に対して、所有公債証書時価は74万余円と相当の増加を示した。
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