日本神話における「葦船」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:27 UTC 版)
日本における文献資料で「葦船」の最古の例は古事記の国産み神話で、イザナミとイザナギの間に生まれたヒルコの処遇に登場する。 《原文》興而生子水蛭子此子者入葦船而流去 古事記(上巻)《書き下し文》興して生める子は水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき この「葦船」が文字通りに葦で作った船だったかの解釈には異同がある。たとえば日本書紀纂疏においては、 葦船ハ葦一ヲ以テ船トナリ とあり、あたかも葦一本をとってそれを船にしたかのごとく解している。本居宣長はこの部分について、「さも有りなむ。」と裏書きした後、「また、葦を多く集めて、からみ作りたるにてもあるべし。」と記して、先人の説を正面切って否定はしないが、実際は物理的に作られた葦船だったともしている。 吉田東伍は「葦舟はけだし竹筏にして」「葦船の葦はイカタの料にして、竹と同しかるべし」としており、船材としての葦とは竹のことだとしている。西村眞次はこれについて、「難波の葦は伊勢の浜荻」というように一般に植物名の使い分けが厳密を欠く場合があるのは確かにしても、記紀は竹と葦は識別して記しているため、やはり葦は葦だと解すべきとしている。西村眞次はつづけて松村任三の言葉として、昔の日本では海辺や川岸に葦が非常に多く産していたことを紹介し、それを受けて、資源として得やすく加工しやすかった葦は、初期の歴史においては木材より多く船材として利用されていたのではないかと結論している。なお、笠井新也は国産み神話に関連して、「当時産後の不潔物等も、葦などに包んで流し捨てるという風習のあった事が想像出来る」としており、葦の使用を認めている。 国産み神話以外では、南波松太郎が、神武東征において、速吸門で遭遇した珍彦(うづひこ)が乗っていた亀甲を葦船としている。
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