日本人F1ドライバー不在の時代へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「日本人F1ドライバー不在の時代へ」の解説
小林は翌2010年にザウバーのシートを獲得し、2012年の日本GPで3位となり、日本人3人目の表彰台に立った。しかし、その年限りでザウバーのシートを失い、1987年以降最低でも1人いた日本人F1ドライバーが2013年はついに不在となった。2014年にケータハムでF1に復帰したが、チーム消滅とともに再びF1から離れることになった。しかし、2021年からは角田裕毅がアルファタウリ・ホンダで活躍している。 2015年からホンダがマクラーレンへのパワーユニット供給を行う形で復帰したが、前回両者のコンビで1988年から1991年にタイトルを独占した時とは違い、パワーの無さと信頼性の低さで苦戦を強いられ、3年目の2017年になっても改善の兆しは見られず、痺れを切らしたマクラーレンはホンダとのパートナーシップを解消、2018年はトロ・ロッソへ供給先を変更することになった。 日本人F1ドライバーの不在、日本企業の不振のみならず、フジテレビが2011年をもって地上波中継から撤退、そしてモータースポーツ自体の人気低下により、日本GPの観客動員は2006年を頂点に減少の一途を辿っている。
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