日本人チーム結成計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/08 02:46 UTC 版)
「日米対抗ローラーゲーム」の記事における「日本人チーム結成計画」の解説
1968年アメリカ人チームによるローラーゲーム番組の絶頂期に日本人チーム結成を計画して選手募集を東京12チャンネルとローラゲームチームを管理しているナショナルスケーティングダービー社が共催で行った。選考試験は後楽園ローラースケートリンクで実施され全国から230名が応募した。 日本での当時のローラースケートは子供の遊び程度に受け止められていて若者や大人で滑れる人はローラーのホッケーやスピード、フィギアのクラブに所属している一部の人たちに限られていた。試験の応募者は前記クラブを引退してフリーとなっている人の他はほとんどがやっと滑れる程度の人たちだった。試験はスケーティングの他、身長、体重、身体機能や健康状態のチェック等が行われ13名が合格した。合格メンバーの中に角田誠、河野一男、森文雄、佐々木陽子他がいた。 訓練して直ぐにでも日本人チームが結成される計画だったがローラーゲーム番組の視聴率が低下して計画の実施は困難となった。
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