日本人チーム結成計画即断の時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/08 02:46 UTC 版)
「日米対抗ローラーゲーム」の記事における「日本人チーム結成計画即断の時」の解説
森はすぐに後楽園ローラースケートリンクの営業時間前の早朝貸切を嘆願(普通は急な依頼は貸してもらえない)して、メンバー全員に招集をかけると共に縁を切らずにいた角田誠、河野一男、佐々木陽子等にも参加を呼びかけて練習状態を見せる準備を整えた。 次の日の朝8時後楽園ローラースケートリンクにビル・グリフィスを迎えたメンバーは一列滑走、ホイップ、ブロックと様々な技術を披露して見せた。一通りの練習を見終わったグリフィスの言葉は「アイムサプライズ」「ベーリーベーリーサプライズ」だった。 グリフィスは日本人チーム作りに膨大な費用がかかるために頓挫していた計画がいつの間にか費用を掛けずに育てられていたスケーターに驚いて計画を実行に移すことをこの時に即断した。1971年1月5日、角田誠と佐々木陽子、森文雄と河野一男の4人が渡米した。
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