日本の活人画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/08 16:40 UTC 版)
1947年に帝都座で「名画アルバム」の名で活人画が披露された。企画した東京宝塚劇場(のちの東宝)の社長秦豊吉は、三菱商事の商社マンとしてドイツに赴任中だった1920年代にベルリンで活人画「生きた大理石像」を観たことがあり、それを参考に、名画になぞらえて額縁の中で半裸の女性にポーズをとらせた。日本初のヌードショー、ストリップと言われ、通称「額縁ショー」と呼ばれた。名画は国内外から選ばれ、岡田三郎助の『海辺裸婦』が最も成功した。演出には東郷青児も協力した。ヌードを見せる時間は長くても30秒程度だったが、定員の5倍あまりの2000人が毎回つめかける盛況となった。
※この「日本の活人画」の解説は、「活人画」の解説の一部です。
「日本の活人画」を含む「活人画」の記事については、「活人画」の概要を参照ください。
- 日本の活人画のページへのリンク