日テレアナウンサー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 10:19 UTC 版)
『キユーピー3分クッキング』に出演していた際、調理している人の横で腕を組むシーンに対し視聴者から抗議の手紙が多数寄せられたことや、料理の初心者故に「味噌汁は味噌に水を入れて作るんですね」などと的外れな発言を行なったことから上司から「料理番組の司会に向いていない」と言われ、僅か3ヶ月で降板した。 1980年にスタートした『NNSアナウンス大賞』の第1回最優秀賞受賞者である。 1983年2月から1985年6月まで、日テレのキャッチフレーズ「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターを、小林完吾とともに務めた(自身が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。このコンビで局の垣根を超えて『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」に出演しており(1983年4月5日)、ドラマでも『太陽にほえろ!』の550話「俺はプロだ!」にて出演している(1983年4月1日)。 日テレ時代の同僚である福留功男とは50年以上の親友関係にあるが、『アメリカ横断ウルトラクイズ』での役回りから一時期テレビで「犬猿の仲」を演じていたことがあった。しかし、徳光は「トメはアナデューサーだ」と福留の放送人としての才能を評価している。
※この「日テレアナウンサー時代」の解説は、「徳光和夫」の解説の一部です。
「日テレアナウンサー時代」を含む「徳光和夫」の記事については、「徳光和夫」の概要を参照ください。
- 日テレアナウンサー時代のページへのリンク