新宿時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:06 UTC 版)
1967年、父・豊が永眠。両親を喪くし、佐賀の親戚の家に引越した高田は、高校に通いながらフォークシンガーになるための勉強を続けるが、数ヶ月で東京に戻ってくる。新宿若松町で一人暮らしを始め、昼はアルバイト、夜は市ヶ谷商業高校定時制に通いながら、曲作りの日々を送る。ピート・シーガーから再び手紙をもらい、来日した際に面会し、コンサートの招待券を受け取る。 1968年、四谷の野村ビル会議室で初めてフォークシンガーとして歌う。菅沼宏、遠藤賢司、南正人、金子章平(後に音楽プロデューサーとして活躍)、真崎義博(ボロディラン)らと東京でアマチュアシンガーの集団「アゴラ」として活動。東京ではまだモダン・フォークのPPM、ブラザーズ・フォアなどをそのまま英語コピーしたカレッジ・フォークが主流の頃、路上や反戦集会で歌を歌っていた彼らは日本語で歌うことを意識して活動していた。68年5月、第1回コンサートを開く。 その後、遠藤賢司と高石事務所へ第3回関西フォークキャンプ(8月9日-11日、京都・山崎「宝寺」)に参加。「自衛隊に入ろう」や「事だよ」を歌い、観客に衝撃を与える。
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