新リューネブルク家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 05:17 UTC 版)
「ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家」の記事における「新リューネブルク家」の解説
「ハノーヴァー朝」および「ハノーファー君主一覧」も参照 フランツ・オットーの弟であるヴィルヘルムを祖とする。ヴィルヘルムの息子であるゲオルクはカレンベルクとゲッティンゲンを継承し、拠点をハノーファーに移した。息子のエルンスト・アウグストは1692年に選帝侯位を獲得し、その后ゾフィーがイングランド王ジェームズ1世の外孫であったことから、2人の息子であるゲオルク・ルートヴィヒは1714年にグレートブリテン王国の国王ジョージ1世に選出され(ハノーヴァー朝)、ハノーファーとイギリスは同君連合体制となった。 ジョージ3世の代にはフランスによるハノーファー占領と神聖ローマ帝国崩壊に伴う選帝侯位の喪失で危機を迎えるが上手く切り抜けることができ、ウィーン会議の結果、旧ハノーファー選帝侯領を中核とするハノーファー王国が創立されてその初代国王になる。1837年のヴィクトリアがイギリス王位についたことで、ハノーファー王位は叔父のエルンスト・アウグストが継承し、同君連合体制は解消された(ただし、イギリス王族としての身分は認められた)。ゲオルク5世は1866年の普墺戦争でオーストリア側についたことで王位を喪失するも、孫のエルンスト・アウグストはベーヴェルン系が所持していたブラウンシュヴァイク公位を継承することが認められ、結果、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家は一つとなった。しかし、エルンスト・アウグストは第一次世界大戦でドイツ側についたことでイギリス王族としての身分を剥奪され、それに加えて1918年のドイツ革命で公位を喪失した。 現在、存続しているのはカレンベルク系のみであり、この一族はジョージ1世の男系子孫であることからイギリス王子の称号を有する。
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