新たな毛皮産地を探して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:24 UTC 版)
「ロシアのシベリア征服」の記事における「新たな毛皮産地を探して」の解説
毛皮を求める狩猟者や商人は、ある地方の毛皮獣を乱獲し、獲り尽くすと別の地に移動した。16世紀後半に、ペチョラやユグラのほかに、高価な黒貂の産地として知られるようになった土地がある。北極海に近いマンガゼヤである。ロシア人のみならず白海航路を開いたイギリス商人たちにも有名になった。1601年にはマンガゼヤにカザーク(コサック)の砦が建てられた。これは先住民族のネネツ人からロシア人の身を守るためだけではなく、政府が毛皮の取引をすべて統制するためでもあった。ロシア商人のなかにはイギリス人やオランダ人と密貿易を行う者もあり、政府は1627年に航路を閉じた。マンガゼヤは、ロシア人の北シベリアへのおもな進出拠点として繁栄したが、南方に新たな進出路が開かれ、黒貂も減り、やがて衰退した。1672年、町はトゥルハンスクに吸収された。
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