文学における函谷関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 00:53 UTC 版)
『史記』(Wikisource)によれば、老子は、周を去って西方に向かう途中、この関で関令の尹喜(中国語版)に請われ、5000字に及ぶ上下二巻の書『道徳経』を著したといわれる。 『史記』(Wikisource)に記された、戦国四君のひとりである斉の孟嘗君の故事「鶏鳴狗盗」の舞台として知られる。それによれば函谷関は夜間閉鎖され、朝は鶏がなくまで開けないという決まりであった。秦の昭襄王から逃れようとしたものの関に阻まれた孟嘗君の一行は、鶏の鳴きまねが上手な食客がいたことで危地を脱したという。日本の京都の祇園祭の山鉾のひとつ「函谷鉾」は、この故事に由来している。 日本においては、箱根峠がしばしば函谷関にたとえられる。日本の関東地方を古代中国の関東に擬したことから。唱歌『箱根八里』(鳥居忱作詞、瀧廉太郎作曲)にも函谷関が歌い込まれている。
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