攻防戦の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:34 UTC 版)
開戦以来、快進撃を続けた日本軍は有効な李氏朝鮮軍の抵抗をほとんど受けないまま約2ヶ月で平壌・咸興などまで急進撃をした。漢城(ソウル)を起点に朝鮮半島各地へ展開していた日本軍であったが、慶尚道の釜山から漢城を結ぶ三路の後方基幹ルートの確保や全羅道方面に至る西進作戦には積極的でなかった。李朝軍の主力を粉砕し、北方への進撃も予想外に進んだため、晋州城を攻略する若干の余裕が生じた。それまで晋州城は、釜山から漢城への侵攻路から外れていたため攻撃を受けていなかった。また、朝鮮では晋州城と平壌城が堅城との評価を受けていた。
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