携帯電話ゲームのスタジオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/01 05:03 UTC 版)
「フィンランドのコンピュータゲーム産業の歴史」の記事における「携帯電話ゲームのスタジオ」の解説
ノキアが初期のモバイルウェブであるWAPを導入すると、数種類のゲームがWAP向けに開発された。WAPはインターネットを携帯電話にもたらす予定であったが、ユーザビリティが悪く、データ料金が高かった。しかし、インターネットに対する熱意により投資者が携帯電話ゲームの開発会社に投資するようになった。初期の携帯電話ゲーム開発会社にはRiot-E(英語版)、そしてHousemarqyeのスピンオフであるSpringtoyesがある。国際の大企業がベンチャーキャピタルでRiot-Eに2千万ユーロに投資したが、Riot-Eは数年で破産した。携帯電話のディスプレイが白黒からカラーになり、Javaが広く使用されると、携帯電話ゲームの見た目もより魅力的になった。ゲームの流通は通信事業者がそれぞれ独自にアプリストアを運営していたため、まだ通信事業者それぞれに連絡して流通させる必要があった。また、ハードウェアでも標準化がなされていないため、ゲームを開発した後も様々な携帯電話で遊べるようにするためにはプログラムを変更する必要があった。
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