捨て場/出土遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 14:25 UTC 版)
ムラの北西出入口の西側と北東側には、多量の土器、石器とともに大量の自然礫を集積した一画があり、不用品がこの一画に廃棄された捨て場遺構と考えられる。 出土遺物には、甕形土器、鉢形土器、高坏形土器、壺形土器、蓋形土器で構成される弥生土器のほか、石斧、石鏃、石錐、石匙、石棒、磨石、敲石、環状石斧、玉類などの石器・石製品、有孔土製品、土偶、紡錘車などの土製品がある。なお、土器には籾痕の残るものがあり、稲作農耕の開始を裏づけている。その場合の水田としては、遺跡が台地縁辺部に立地するところから、台地下の沖積地が想定される。 このうち、土器棺に使用された壺形の土器は、西日本の前期弥生土器に共通する製作技法、器形、文様などの諸特徴を備え、九州地方北部を発祥地とする遠賀川系土器であり、この集落が紀元前3世紀の弥生時代前期に成立し、初期の稲作農耕文化を受容したであろうことを示している。これら遠賀川系土器には、他所から搬入したと考えられるものと縄文の施された在地系と考えられるものの2つのタイプがあり、このことは集落の成立過程や日本海を経由する文化の伝播や伝統を考察していくうえで興味深い情報を提供している。
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