指名人数制限の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:17 UTC 版)
「プロ野球ドラフト会議」の記事における「指名人数制限の推移」の解説
1965年 - 1966年:名簿登載者のみ。 1967年 - 1973年:人数制限なし。 1974年 - 1977年:各球団6名以内。 1978年 - 1980年:各球団4名以内。これに関しては、3年で元の人数に戻った。その理由として、社会人側からドラフト外で大量に選手を取られることに対する懸念が伝えられたというのが建前で、本音は、西武とプリンスホテルの乱獲に歯止めをかけるためとされる。 1981年 - 1990年:各球団6名以内。 1991年 - 1994年:各球団10名以内。 1995年 - 2000年:各球団8名以内(1999年 - 2000年は指名人数が8名未満の球団があった場合、全体の合計が96名以内なら9名以上10名以内で指名も可能)。 2001年以降:12球団合計で120名以内であれば人数制限なし(自由獲得枠、希望入団枠、育成選手を含む)。※1 ※1:2008年以降、国内の独立リーグ所属選手や外国のプロ野球選手を指名した場合は人数制限に含まない。
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