所属選手の契約解除 - リキプロへの移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:23 UTC 版)
「WJプロレス」の記事における「所属選手の契約解除 - リキプロへの移行」の解説
11月以降、所属選手であった越中や大森は他団体に参戦し、長州もZERO-ONEを主戦場に、ハッスルなどにも参戦した。これは永島の著作によれば、所属選手に対して経営不振によるギャラの40%カットと引き換えに、専属契約の解除(事実上の専属フリー契約)を行ったためとされている。佐々木も長州らとの金銭問題のもつれ等から、12月に退団した。 2004年1月、X-1でリングデビューした中嶋勝彦がプロレスデビュー戦を行った。中嶋は15歳9か月でのデビューで、男子プロレス史上最年少プロレスラーとなったが、3月に中嶋は保障上の不安から退団し、佐々木健介を頼って「健介ファミリー」を結成した。 5月、福田社長がWJ事業から撤退し、社長は轡田浩二に代わった。興行以外での新規事業で再建を図るも頓挫し、その後も不定期に単独興行を打っていたが、8月13日に所属選手がWJから分離して設立されたリキプロへ移籍した。長州自身はWJに残留したとされたが、以降の長州のマネジメントはリキプロが行っており、WJプロレスは旗揚げから1年5ヶ月で崩壊した。
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