成熟論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:32 UTC 版)
一方、成熟、未熟を人類の歴史という観点からみれば、戦後、日本は形としては民主主義の形をとったが、一人一人の個人のパーソナリティにおいてはまだまだ未熟なものが多い。「なおも未熟な日本人」という本では、10ほど未熟を指摘して、もっと成熟しなければならない、紛争なども成熟することで解決できることがあると提案している。 最後に我々の信仰生活も伝道により、信者を導き、洗礼を受けるということが大事である。洗礼を受けた後はどうしたらよいか。今まであまりはっきりしなかったが、ただ生きて、クリスチャンとしてご奉仕をするだけでなく、洗礼を受けてから人間としてさらに成長するようにしたい。はじめは子供のような信仰だったが、やがて大人の信仰になり、全くなる。イエスが「神が全きようにあなた方も全くあれ」と言われた。それをめざして私たちを励ましてくださる、これが教会生活の中で一人一人が考えなければならない大きな問題である。「古いものに留まってはいけない。絶えず新しくなれ」という教えである。
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