愛知・岐阜の守口大根
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 21:05 UTC 版)
江戸時代には中国から長大根が伝わり、大名に献上されていた。17世紀には岐阜でホソリ大根や美濃干大根と呼ばれる長大根が生産されており、主に切り干し大根に使用されていた。この長大根はやがて守口漬に使用されるようになり、守口大根という名称に変わっていった。戦後には愛知県にも導入された。 1950年(昭和25年)の岐阜県岐阜市内では、則武、島一帯で作付けが行われており約10万貫が生産。地元消費のほか大阪、名古屋へ出荷されていた。 現在では愛知県丹羽郡扶桑町が全国の総生産の60%以上を占めており、市場に流通する守口大根は扶桑町と岐阜県岐阜市の2地域のみで生産されている。また、岐阜市の農家は各務原市の川島地区、笠松町にも出作している。これらの地域は水はけが良いことや、木曽川や長良川に面した地域の地質が砂状で柔らかく、粒子の細かい適度に砂の混ざった土壌であることから、地下へ細く長く伸びる当品種の生産に適しているとされる。生産者と漬物業者との契約によって栽培量が決められているため、一般の商店に生の守口大根が並ぶことはない。
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