恋と幸せをかなえる八十慈伝説とは? わかりやすく解説

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恋と幸せをかなえる八十慈(やそじ)伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 06:45 UTC 版)

神庭の滝」の記事における「恋と幸せかなえる八十慈(やそじ)伝説」の解説

高田城(勝山城)を築いた三浦殿様三浦貞宗(みうらさだむね)に照姫という姫がいた。十五歳照姫幼少のころから病弱であり、医者から余命一,二年と宣告されていた。とある秋の一日最期思い出神庭の滝紅葉見せてやりたい思った乳母(うば)は、照姫連れて滝見物に行こうとしていた道中清海という二十歳修行僧会った。そこで照姫病気のことを聞いた清海は、照姫病気治そうと寺に代々受け継がれていた秘法薬草霊芝(れいし)を渡し二人次に会った時、一緒に薬草採りへ行くことを約束したその後乳母の手引きで照姫清海元へ何度も訪れたいつしか照姫は、天真爛漫無骨な外見だが純粋で心やさしい清海惹かれ、また清海照姫恋心抱いていった。しかし、二人身分違いから一緒になることはできない分かっていた。晩秋のとある一日照姫自分の愛を確かめるために『源氏物語』一節清海聞かせた。それは、光源氏の父・桐壺帝恋人桐壺更衣(きりつぼのこうい)との最期死別場面であり、そこには、死が迫っている中でもまだ生きること執着して桐壺帝との愛を貫きたいという桐壺更衣想いが歌にぶつけられていた。照姫自分気持ち桐壺更衣心境重ね合わせこのような身分超え一緒に死を持つほどの愛を貫くことができるか」と清海に問うと、清海は「わしでよければお供をする」と答えたので、二人心中をし、あの世で一緒になることを約束した翌年の春、事件起きたその日は清海案内乳母照姫滝の上訪れていた。昼食食べながら話をしていると、照姫が突然和歌(桐壺更衣病死前に桐壺帝送った人生最後の歌)を詠みはじめた。その歌には、愛する人一緒に生きたいという意味が込められており、照姫清海向けて詠んでいた。その歌を聞いた清海は、いよいよ心中の時が来たと自身の心に言い聞かせていた。和歌詠み終えた後、照姫乳母清海別れ告げ、滝に向かって走って行った一瞬の間だったので、乳母清海驚き同時に声をあげた。清海照姫の後を追い照姫しっかりと抱きしめ、腰ひも照姫の帯にしっかりと結んだ二人乳母一礼をした後、目と目を合わせて神庭の滝壺に身を投げた。しかしその時一条の光がさし込み二人気づくと、不思議に柔らかな手に抱えられ、岸にやさしく寝かされていた。その後照姫霊芝病気治し清海二人で幸せ暮らした語り伝えられている。

※この「恋と幸せをかなえる八十慈(やそじ)伝説」の解説は、「神庭の滝」の解説の一部です。
「恋と幸せをかなえる八十慈(やそじ)伝説」を含む「神庭の滝」の記事については、「神庭の滝」の概要を参照ください。

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