恋と幸せをかなえる八十慈(やそじ)伝説
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「神庭の滝」の記事における「恋と幸せをかなえる八十慈(やそじ)伝説」の解説
高田城(勝山城)を築いた前三浦の殿様・三浦貞宗(みうらさだむね)に照姫という姫がいた。十五歳の照姫は幼少のころから病弱であり、医者から余命一,二年と宣告されていた。とある秋の一日、最期の思い出に神庭の滝の紅葉を見せてやりたいと思った乳母(うば)は、照姫を連れて滝見物に行こうとしていた道中、清海という二十歳の修行僧に会った。そこで照姫の病気のことを聞いた清海は、照姫の病気を治そうと寺に代々受け継がれていた秘法の薬草・霊芝(れいし)を渡し、二人は次に会った時、一緒に薬草採りへ行くことを約束した。その後、乳母の手引きで照姫は清海の元へ何度も訪れた。いつしか照姫は、天真爛漫で無骨な外見だが純粋で心やさしい清海に惹かれ、また清海も照姫に恋心を抱いていった。しかし、二人は身分の違いから一緒になることはできないと分かっていた。晩秋のとある一日、照姫は自分の愛を確かめるために『源氏物語』の一節を清海に聞かせた。それは、光源氏の父・桐壺帝と恋人の桐壺更衣(きりつぼのこうい)との最期の死別の場面であり、そこには、死が迫っている中でもまだ生きることに執着して、桐壺帝との愛を貫きたいという桐壺更衣の想いが歌にぶつけられていた。照姫は自分の気持ちを桐壺更衣の心境に重ね合わせ「このような身分を超え、一緒に死を持つほどの愛を貫くことができるか」と清海に問うと、清海は「わしでよければお供をする」と答えたので、二人は心中をし、あの世で一緒になることを約束した。翌年の春、事件は起きた。その日は、清海の案内で乳母と照姫は滝の上を訪れていた。昼食を食べながら話をしていると、照姫が突然和歌(桐壺更衣が病死前に桐壺帝に送った人生最後の歌)を詠みはじめた。その歌には、愛する人と一緒に生きたいという意味が込められており、照姫は清海に向けて詠んでいた。その歌を聞いた清海は、いよいよ心中の時が来たと自身の心に言い聞かせていた。和歌を詠み終えた後、照姫は乳母と清海に別れを告げ、滝に向かって走って行った。一瞬の間だったので、乳母と清海は驚き、同時に声をあげた。清海は照姫の後を追い、照姫をしっかりと抱きしめ、腰ひもを照姫の帯にしっかりと結んだ。二人は乳母に一礼をした後、目と目を合わせて神庭の滝壺に身を投げた。しかしその時、一条の光がさし込み、二人は気づくと、不思議にも柔らかな手に抱えられ、岸にやさしく寝かされていた。その後、照姫は霊芝で病気を治し、清海と二人で幸せに暮らしたと語り伝えられている。
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