志波の地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 04:46 UTC 版)
旧岩手郡内に所在する「志波城」が古代「志波郡」の名を冠するのは、造営当時まだ「岩手郡」が建郡されていなかったためである。北上川流域の「奥六郡」は、はじめ磐井郡~志波郡までを指したが、後に磐井郡が国府多賀城の直接管理を受けることになると、新たに生まれた岩手郡を含めた六郡となり、俘囚長・安倍氏により治められた。 シハ(しわ)の表記「志波」「斯波」「紫波」は、いずれも古代郡名に由来し、同源であると考えられるが、当該城跡を指す場合、『日本紀略』での表記である「志波」が定着している。それに対し、斯波は中世の「斯波氏」にかかわる事象をあらわし、紫波は現在の「紫波郡」での使用が一般的である。 なお、「志和」は現在特に岩手県紫波郡紫波町上平沢・水分周辺の通称として狭域的に用いられ、「志和町(しわまち)」などの表現が残されている。これは同地区が南部八戸藩の飛び地であったことに由来する。また、日本最北の延喜式内社「志賀理和気(しがり・わけ)神社」(紫波町桜町)に由来するとの説もあり、当時として朝廷の支配力が及ぶ最も遠方の地域を示していたと考えられる。
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