必然的な成り行きからの論証とは? わかりやすく解説

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必然的な成り行きからの論証

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:59 UTC 版)

自由意志」の記事における「必然的な成り行きからの論証」の解説

非両立主義3番目の論拠は、1960年代にカール・ギネットによって定式化され、現代の文献の中で大きな注目受けている。その単純な論証は、以下のような文章で足りる。もし決定論が真であるならば、私たちは、私たち現代の状態を決定している過去事象コントロールすることができず、また、自然法則コントロールすることもできない私たちはこれらの事柄コントロールすることができないので、同様にそれらの事柄必然的な成り行きコントロールすることもできない私たち選択や行為は、決定論の下では、過去および自然法則必然的な成り行きであるから私たちはそれらをコントロールすることができないし、またそれゆえに、自由意志持たない。これは、必然的な成り行きからの論証と呼ばれる。 つまり、両立主義にとっての難題は、両立主義が、人はその人為したのと別様選択をすることができないという不可能性を孕んでいるという事実に存する例えば、両立主義者でありちょうど今ソファー座っているジェーンは、もし彼女が望んだならば彼女は立ったままでいることもできたはずだという主張受け入れるだろう。しかし、必然的な成り行きからの論証によって帰結されるのは、仮にジェーン立ったままでいたならば、彼女は自然法則違反するかあるい過去変更するという矛盾引き起こすことになるということである。したがって、ギネットおよびヴァン・インワーゲンの主張によれば両立主義者は、自分信じていない能力実在性受け入れているということになる。このような論証対す反論のひとつは、能力に関する観念必然性に関する観念とは実は等価であるというものである別の反論によれば自由意志が行われた選択引き起こしたのだということは幻想であり、選択というものは初めから、その決定者などというものとは無関係に為されるのだというものであるデイヴィド・ルイスによれば両立主義者が受け入れているのは、もし現実過去にあったのとは異な事情があったならば何かを別様為すことができたという能力だけである。

※この「必然的な成り行きからの論証」の解説は、「自由意志」の解説の一部です。
「必然的な成り行きからの論証」を含む「自由意志」の記事については、「自由意志」の概要を参照ください。

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