御師の町・岩渕の発展(近世)
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「岩渕 (伊勢市)」の記事における「御師の町・岩渕の発展(近世)」の解説
江戸時代には、伊勢国度会郡に属し、岩淵町ないしは山田岩淵町として山田三方の配下にあった。山田三方の自治を担った三方家は24家から構成され、そのうちの6家が岩淵町に屋敷を構え、彼らは全員が御師でもあった。特に三方家の三日市帯刀は353,900軒、久保倉弾正は259,103軒の檀家を持つ山田の有力者だった。ほかにも1万軒以上の檀家を持つ御師が8家あり、安永6年(1777年)時点で30軒の御師が居を連ね、合計1,016,731軒もの檀家を抱えていた。檀家数では山田で最大の町であった。岩淵町の御師は伊勢信仰が普及していない地域の開拓を進めたため、北関東や東北地方に在住する檀家が多く、伊勢国周辺の檀家はほとんどなかった。例えば先述の三日市家は陸奥国、久保倉家は常陸国に檀家が集中していた。
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