従一位麗子と源氏物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/07 14:36 UTC 版)
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源麗子(1040年(長久元年)-1114年(永久2年))は平安時代後期の村上源氏の女性である。村上天皇の子具平親王の孫で、源師房と藤原道長五女・尊子の娘であり、藤原信家の養女となって関白・太政大臣藤原師実の妻となり、藤原師通を産んでいる。同人は、従一位を授けられたことから「従一位麗子」と呼ばれたり、邸宅の所在地と関白の妻であったことから「京極北政所」と呼ばれたりしている。父方の祖父である具平親王は紫式部の父藤原為時が散位であった時代に一時家司をつとめたとされており、母方の祖父である藤原道長はその娘である上東門院藤原彰子の女房であった紫式部にとっては実質的な雇い主であるといえる。さらに古伝承「源氏物語のおこり」では、麗子から見て大叔母にあたる大斎院と呼ばれた選子内親王が紫式部が源氏物語を書くきっかけになったとされているなど、源麗子は源氏物語や紫式部とさまざまな形で何重にも繋がりを持つ立場にある人物である。河海抄等の記述によるところの「河内方が河内本を作るにあたって特に重要視していたとされる7つの写本」の中には、この従一位麗子本の他に麗子の兄源俊房の本(堀川左大臣俊房本)や麗子のひ孫藤原忠通の本(法性寺関白本)が挙げられている。
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