徐福来日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:00 UTC 版)
14世紀の南北朝時代に成立した『神皇正統記』によると、秦の始皇帝が長生不死の薬を日本に求めたのが孝霊天皇の治世だったとある。日本が海外と関わりを持ったのは神功皇后の三韓征伐以後のはずとしながらも、ありえない話ではないとしている。1471年に李氏朝鮮で書かれた海東諸国記にも孝霊天皇即位72年壬午、秦の始皇帝に遣わされた徐福が仙福(不老不死の薬)を求めて紀伊まで至り、死後に土地の人から神と崇められ祀られたとある。ただし孝霊天皇即位72年は史記で徐福の記事がある始皇帝28年の翌年を機械的に当てはめただけのものである。富士吉田市の『宮下家文書』にも同様の記述があるが『宮下家文書』はいわゆる「古史古伝」に含まれる部類の書物であり、文体・発音からも江戸後期から近代の作で俗文学の一種と評されており、記述内容についても正統な歴史学者からは認められていない。
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