役柄および初演のキャスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/07 17:09 UTC 版)
「ルクレツィア・ボルジア (オペラ)」の記事における「役柄および初演のキャスト」の解説
1833年ミラノ、スカラ座でのキャストは以下の表の通りである。 役柄初演のキャストフェラーラ公アルフォンソ・デステ ルチアーノ・マリアーニ (英語版) ルクレツィア・ボルジア アンリエット・メリク=ラランド (英語版) マッフィオ・オルシーニ マリエッタ・ブランヴィラ ジェンナーロ フランチェスコ・ベドラッチ ジェッポ・リヴェロット ナポレオーネ・マルコーニ ドン・アポストロ・ガヅェッラ ジュゼッペ・ヴィザネッティ アスカニオ・ペトルッティ イスマエーレ・グアイタ オロフェルノ・ヴィテッロッツォ ジュゼッペ・ヴァスチェッティ ルスティゲッロ (アルフォンソ公の腹心) ラニエーリ・ポチーニ グベッタ (ルクレツィアの腹心) ドメニコ・スピアッチ アストルフォ フランチェスコ・ペトラッツォーニ タイトルロールを演じたメリク=ラランドは、ベッリーニの『異国の女』のアライデ、『ビアンカとフェルナンド』のビアンカを創唱した、1820年代後半を代表するプリマドンナの一人であった。しかし、この初演時はすでに絶頂期を過ぎていた。作曲者に対しては、第2幕フィナーレに自身のために華々しい幕切れのアリアを書くように要求した。このため、ドニゼッティは当初三重唱で締めくくることにしていた第2幕の幕切れを変更している。その場面で歌われるルクレツィアのカヴァレッタ「この若者は私の息子でした」(Era desso il figlio mio)は、ハイCが何度も登場するオペラ・アリアの中でも難曲の1つとなっている。そのため、ドニゼッティは後に自身の構想したエンディングに合わないという理由から、このアリアを削除した。
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