弘仁年間の整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/02 14:22 UTC 版)
対蝦夷戦争が終結してから、東北地方では諸制度の整頓が進められた。その中で陸奥出羽按察使に関する規定は待遇改善の方向で改正された。 すなわち、弘仁3年(812年)1月26日に陸奥出羽両国按察使の位階が従四位下に引き上げられた。同年4月7日の太政官符で、陸奥出羽按察使を護衛する傔仗を1人増やして4人にすることになった。 対蝦夷戦争が収束してからもしばらくは、藤原緒嗣、文屋綿麻呂のような能力実績を買われての任命が続いた。両国の行政への積極的関与が見える最後の按察使は巨勢野足である。
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