建設開始より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:54 UTC 版)
1855年(安政2年)4月に開発着手の願いが藩へと提出され、8月に許可され10月4日起工される。1856年(安政3年)には最初の穴堰が貫通、翌1857年(安政4年)には2本目の穴堰も貫通する。この間に傳は役人として江戸に出たために息子の十次郎が一旦継承する。 十次郎は稲生町を東西南北12町(1.2km)の碁盤の目の格子状に分け、表通りは16m、裏通りは12mとし、街中に水路を造った。このような格子状の都市計画の始めだと言われる。札幌市を作った中心人物である開拓使の判官島義勇が三本木原を見てまわって、参考にして格子状の都市を作ったという。
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