建立までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 01:29 UTC 版)
全国の戦没学生が遺した手記を集めて編集した『きけ わだつみのこえ』が刊行された。「わだつみ」は「わた(海)のかみ」と同義で「海をつかさどる神」を意味する。同書は社会の大きな反響を呼び、たちまちにして版を重ねた。刊行をきっかけに結成された日本戦没学生記念会(わだつみ会)は、刊行収入を基金として、本郷新に依頼しこの戦没学生記念像を制作した。 初めわだつみ会は事務局のおかれていた東京大学に寄附を申し出ていたが、1950年12月4日、大学評議会が設置を拒否したためここでの建立は実現せず、完成した像は宙に浮いた形になっていた。これを惜しんだ当時の末川博立命館大学総長は1953年に同大学での受け入れを決定し、広小路キャンパス(現・京都府立医科大学および関西文理学院キャンパス内)に建立することとなった。この際、立命大でのわだつみ像歓迎集会に合流しようとしていた京都大学の学生デモ隊が荒神橋上で機動隊と衝突し、多数が鴨川に転落・負傷した(荒神橋事件)。
※この「建立までの経緯」の解説は、「わだつみ像」の解説の一部です。
「建立までの経緯」を含む「わだつみ像」の記事については、「わだつみ像」の概要を参照ください。
- 建立までの経緯のページへのリンク