廃絶した曳山とは? わかりやすく解説

廃絶した曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:44 UTC 版)

山王まつり (富山市)」の記事における「廃絶した曳山」の解説

江戸時代には曳山が9基あったとされ、「富山県史料近世下(町吟味御觸書前田文書より引用されたもの)」には1707年宝永4年11月2日に、猩々山、紫式部山、老山、陳鼓山織姫山、業平山、揚貴妃山、分銅山、松山曳山のほか、神輿や鉾などが城下を曳き回した記録残されている。また同書には、1780年安永9年11月新たに曳山制作されたとの覚書がある。これらの曳山何度大火遭っているが、富山城下には売薬などの小規模な商売人多く船問屋などのような豪商大店おおだな)が少なく曳山再興させるのはなかなか難しかったものと考察されている。

※この「廃絶した曳山」の解説は、「山王まつり (富山市)」の解説の一部です。
「廃絶した曳山」を含む「山王まつり (富山市)」の記事については、「山王まつり (富山市)」の概要を参照ください。

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