広瀬神社 (竹田市)とは? わかりやすく解説

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広瀬神社 (竹田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 21:51 UTC 版)

広瀬神社
(廣瀬神社)
所在地 大分県竹田市大字竹田2020
位置 北緯32度57分56.7秒 東経131度23分48.6秒 / 北緯32.965750度 東経131.396833度 / 32.965750; 131.396833 (広瀬神社 (竹田市))座標: 北緯32度57分56.7秒 東経131度23分48.6秒 / 北緯32.965750度 東経131.396833度 / 32.965750; 131.396833 (広瀬神社 (竹田市))
主祭神 広瀬武夫命
社格 旧県社
創建 1935年
本殿の様式 流造
例祭 5月27日
地図
広瀬神社
(廣瀬神社)
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広瀬神社(廣瀬神社、ひろせじんじゃ)は、大分県竹田市大字竹田2020にある神社[1]。1935年(昭和10年)建立。旧社格県社

祭神

竹田市出身で「軍神」と呼ばれた海軍中佐広瀬武夫命主祭神とする。竹田市を含む旧直入郡(現在はほぼ全域が竹田市内)内の戦歿者等の霊1400余柱を合祀している。

主祭神

歴史

1904年(明治37年)3月27日に日露戦争旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬中佐の人格と報国の精神を敬仰して、首相の岡田啓介や地元の黒川健士ほか数百名によって広瀬神社創建奉賛会が結成され、1935年(昭和10年)5月[2]に社殿が落成した。5月25日に鎮座祭が行われ、県社に列せられた。

1948年(昭和23年)7月、大分県直入郡遺族連合会が、郡内の国家公共に尽くして亡くなった人々の霊の広瀬神社への合祀を議決した。1949年(昭和24年)に第1回の合祀が行われた。

境内

鳥居の前には広瀬武夫の胸像がある[1][3]。境内には広瀬武夫記念館があり、広瀬武夫の遺品などが展示されている[1][3]。館内にはかつて広瀬の乗艦であった戦艦朝日カッターが寄進されており、旧海軍時代のものとしては貴重なものである[4]

また、同じく竹田市出身の陸軍大将阿南惟幾の顕彰碑がある。碑は岸信介の書によるものである。

脚注

  1. ^ a b c 広瀬神社(廣瀬神社)”. たけ旅. 2024年3月15日閲覧。
  2. ^ 広瀬神社”. 九州の今. 2024年3月15日閲覧。
  3. ^ a b 廣瀬神社”. 国指定史跡 岡城跡. 2024年3月15日閲覧。
  4. ^ ただしカッターは1937年寄進のため、広瀬の勤務当時のものかどうかは不明。また寄進当時の朝日は特務艦である。

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