広島や卵食ふ時口ひらく
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出 典 | 三鬼百句 |
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評 言 | 『三鬼百句』に所収。この書は、昭和二十三年に刊行されたもので、戦前から五十句、戦後から五十句選び出している。勿論、<水枕ガバリと寒い海がある>以下、三鬼の気に入りの百句である。 掲出の句は、どの句集にも入れられていないのだが、三鬼にとっては捨て難く、気になる作品だったのかも知れない。 私はずっと長い間、「広島や」は「広島忌」として解釈して読んでいたが、厳密に言うならば無季の句となるのだろう。広島はヒロシマであり、今や悲劇の街の代名詞となっている。ものを食う姿の哀れが、単純明快に詠われていて、広島の言葉と相まって心にのこる。 三鬼は、昭和二十二年、用件があって江田島に渡った帰路、夜、広島に下り立ったという。「白く骨立した松の幹に私は広島の姿をみた。未だに嗚咽する夜の街。旅人の口は固く結ばれてゐた。うでてつるつるした卵を食ふ時だけ、その大きさだけの口を開けた」と、その作意について記している。 この一晩の広島を「有名なる街」と題して、九句作っている。<広島の夜蔭死にたる松立り><広島に林檎見しより息安し>など。どの句も句集には収録されていない。 山本健吉が「三鬼の『俳意』」と題した文の中で、「広島や」の句について触れている。「広島の句が、原爆投下後二年目の作だと知らぬ後の世の読者には、これはもう通じまい。三鬼の作意を受取ることができなくなったら、この句の価値は消滅しよう」と。 |
評 者 | |
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