平岩親吉の系統とは? わかりやすく解説

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平岩親吉の系統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:17 UTC 版)

平岩氏」の記事における「平岩親吉の系統」の解説

初祖平岩重益五郎右衛門)。重益は三河国坂崎郷に住んだが、のち同国戸呂(土呂)郷に遷ったという。天文19年1550年)卒。その子親重(新左衛門)の時、松平氏属し松平清康広忠歴仕したが、彼は京洛より岡崎城滞在した食客武士の無礼憤り殺害したため、坂崎郷に戻り生涯幽居したという。親重の子、親吉(主計頭)は徳川家康幼少の頃より近臣として仕え家康今川氏人質時代近侍した。その功により、天正18年1590年)の家康関東入国後に上野国厩橋にて33千石大名に列せられた。親吉はその後甲斐国甲府藩主徳義直当時五郎太称す)の守役陣代勤め義直奉じて尾張国清洲藩移り尾張徳川家家老犬山城主(城代となったが、親吉の一族も親吉の一族衆として親吉に従った。親吉は嗣子がなく平岩本家断絶したが、親吉の一族衆平岩氏庶家義直直臣となり弓削衆と呼ばれた江戸後期では姫路藩家老職として存続し、現在でも兵庫県等でその系統続いている。この系統家紋丸に向かい張りの弓。この家紋家康本人が親吉の為デザインしたものであり、弓の文字家康直筆伝えられる。(菩提寺 平田住職伝)

※この「平岩親吉の系統」の解説は、「平岩氏」の解説の一部です。
「平岩親吉の系統」を含む「平岩氏」の記事については、「平岩氏」の概要を参照ください。

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