市街地・工業地帯としての発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:04 UTC 版)
「宇品」の記事における「市街地・工業地帯としての発展」の解説
一方、宇品地区は市街地としての発展も著しく、1915年(大正4年)には、宇品線に続く第2の鉄道線として、地区西端(京橋川東岸)の土手沿いの道に広島電軌(広島電鉄の前身)の路面電車線が敷設され、のちの広島電鉄宇品線となった。この路線は1935年(昭和10年)にやや東よりの宇品本通に移設され現在に至っている。1933年には錦華紡績の工場が宇品町東部(現・宇品東のマツダ宇品工場)に設立された。 また、主要な文教施設としては、1921年に(旧制)広陵中学校(広陵高等学校の前身)が現在の宇品御幸一丁目に設立(その後1973年沼田町に移転し、跡地は再開発され、みゆきプラザ(イオンみゆき店・みゆきパークマンション)になっている)され、1935年には広島女子専門学校(県立広島女子大学⇒県立広島大学の前身)が桜土手沿い(現・宇品東)に移転(現在地)した。
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