岡藩に生まれる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:17 UTC 版)
「松平忠明 (信濃守)」の記事における「岡藩に生まれる」の解説
豊後岡藩主中川久貞の四男として生まれる。幼名は鶴次郎。岡藩の史料「中川氏御年譜」によれば、宝暦9年(1759年)9月29日に岡城において生まれ、母は側室五十嵐氏とある。「中川氏御年譜」では幕府への届け出について「於巻様ノ次ニ御書出」とあり、明和2年(1765年)8月に生まれた久貞七女の巻姫(のちの森忠賛室)の後に出生したものとして届けられたことが記されている。忠明が松平家当主であった時期に編纂された『寛政重修諸家譜』(以後『寛政譜』)では、明和2年(1765年)生まれとして年齢が記載されており、公式年齢(官年)が実際より6年年少とされている。 宝暦12年(1762年)8月、岡藩家老・中川求馬久敦の養子である中川大四郎久知の養子となった。のちに久知は離縁され、忠明(鶴次郎)が中川求馬家の嫡孫(次期家督予定者)となった。しかし久敦の実の孫が同家を継ぐこととなり、天明2年(1782年)10月8日に久貞は中川求馬家から忠明(鶴次郎)を呼び戻した。忠明は通称を大炊に改めた。
※この「岡藩に生まれる」の解説は、「松平忠明 (信濃守)」の解説の一部です。
「岡藩に生まれる」を含む「松平忠明 (信濃守)」の記事については、「松平忠明 (信濃守)」の概要を参照ください。
- 岡藩に生まれるのページへのリンク