山階宮茂麿王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山階宮茂麿王の意味・解説 

葛城茂麿

(山階宮茂麿王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/25 06:52 UTC 版)

茂麿王
葛城茂麿
山階宮家・葛城伯爵家
続柄

身位 伯爵華族) → 制度廃止
敬称 殿下 → 閣下 → 制度廃止
出生 1908年4月29日
日本 東京府東京市
死去 (1947-01-10) 1947年1月10日(38歳没)
埋葬 多磨霊園
配偶者 細川敏子
子女 葛城茂久
葛城茂敬
葛城由子
葛城(志甫)伸子
父親 山階宮菊麿王
母親 菊麿王妃常子
テンプレートを表示

葛城 茂麿(かつらぎ しげまろ、1908年明治41年)4月29日 - 1947年昭和22年)1月10日)は、日本の元皇族。旧名、茂麿王。山階宮菊麿王の第五王子。母は菊麿王妃常子陸軍軍人、最終階級は陸軍中佐爵位伯爵

来歴

山階宮菊麿王の第五王子として生まれるが、その3日後に父が36歳で薨去。

1928年(昭和3年)4月28日、満20歳となり貴族院皇族議員に就任[1]。1929年(昭和4年)7月に陸軍士官学校を卒業(陸士41期)。同年12月24日に願により臣籍降下して葛城伯爵家を創設し、貴族院議員を退任した[2]

終戦時は陸軍中佐。1947年(昭和22年)、38歳で死去。長男の茂久が襲爵した[3]。 死因は白血病であり、陸軍在籍中に原子爆弾の研究に関わり被曝したことが原因とされる。

栄典

血縁

葛城茂麿と敏子夫人(昭和初期)

脚注

  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、37頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  3. ^ 千田稔『華族総覧』講談社、2009年7月、116頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  4. ^ 『官報』第848号「叙任及辞令」1929年10月26日。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  6. ^ 平成新修旧華族家系大成上p427

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。

外部リンク

関連項目

日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
葛城家初代
1929年 - 1947年
次代
華族制度廃止



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山階宮茂麿王」の関連用語

山階宮茂麿王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山階宮茂麿王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの葛城茂麿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS