山陽線列車追突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「山陽線列車追突事故」の解説
1944年(昭和19年)11月19日 山陽本線上郡駅 - 三石駅を走行していた下り233旅客列車(C57形45号機牽引、客車11両編成)が閉塞信号の停止現示で停止していたところ、午前1時56分に後続の下り345貨物列車(D52形蒸気機関車牽引)が追突し、追突した機関車と貨車56両中4両と、旅客列車11両中5両が脱線し大破した。38名が死亡、59名が負傷した。 事故は、後続の貨物列車の乗務員が居眠りし、信号冒進したためだった。なお後続列車の乗務員は生存していたが、自責の念からのちに蒸気機関車の火室で焼身自殺した。
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