山陽線急行列車脱線転落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「山陽線急行列車脱線転落事故」の解説
1931年(昭和6年)1月12日午前3時57分 山陽本線河内駅を通過中の上り急行列車(13両編成)が分岐器で脱線。機関車(C53 24)が横転して後位の客車5両が駅前方の椋梨川鉄橋から川に転落し、7名が死亡、179名が重軽傷を負った。横転して鉄橋を塞いでいた機関車は川に突き落として撤去された。 分岐器通過の際の速度超過が原因とされ、速度制限標の設置が進められた。前年に発生した東海道線石山駅急行列車脱線転覆事故とは駅の前か後かの違いで状況が類似している。 なお、事故の原因については分岐器の設置ミスとの説もある。
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