山車・屋台の祭りへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:41 UTC 版)
1891年、本町三四(現・第二本町区)の菓子舗「中家堂」初代店主・中村藤吉が、東京神田の紺屋が所有していたとされる山車を購入した。これ以降、鎌倉区(1894年)・本町一二(現・第一本町区;1898年)・筑波区(1902年)・仲町区(1906年)が順次山車・屋台を建造・購入し、元来の神輿祭りは、現行の山車・屋台の巡行を中心とする祭りに変貌した。同じ頃、以上の「五ヶ町」が回り番で年番町となり、祭りの統括を行う慣習が定着した。 市街地の拡大等に伴い、弥生町区(1924年)を皮切りに、本石区・石原区(1933年、市制施行を機に)、銀座区・荒川区・伊勢町区(年不明)、桜町区(1979年)が順次祭りに参加するようになった。年番を担当する町区は、前記「五ヶ町」に銀座区・弥生町区・荒川区を加えた「八ヶ町」に拡大した。
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