山縣水道
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「古稀庵 (小田原市)」の記事における「山縣水道」の解説
山縣有朋の庭園には必ず流水があり、古稀庵についても洗頭瀑をはじめとする滝や水流があるが、水源として荻窪用水の水を、板橋に隣接する風祭から取水し、その水を古稀庵まで送水するという、総延長約1,300mに及ぶ私設の水道を引くことにした。 風祭で荻窪用水から取水された水は、一旦同地に造られた「風祭水源地」に蓄えられた。これは、上部の直径26m、深さ4m、底部の直径17mの、円錐台を上下逆にした形をした貯水池であり、約1,300トンの水を蓄え、沈殿浄化も行われた。ここからは、国道1号沿い等に設けられた鋳鉄管を経て、古稀庵まで自然圧で送水されるようになっていた。この水道は「山縣水道」と呼ばれ、古稀庵だけでなく、隣接する益田邸や閑院宮邸等の別荘群へ、飲料水としても給水されていた。
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山縣水道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:49 UTC 版)
詳細は「古稀庵 (小田原市)#山縣水道」を参照 1907年(明治40年)に政治家・山縣有朋が当時の足柄下郡大窪村板橋に別荘「古稀庵」を営むと、その別荘の庭園に用いる水源として、荻窪用水の風祭から取水して古稀庵へと送水する「山縣水道」と呼ばれる私設水道が造られた。
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