山田圭介体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 18:55 UTC 版)
1996年、代表のキニョネスが経営陣から撤退し、FMWへ手駒の外国人選手(プエルトリコ軍)を率いて参戦。これに中牧も呼応する形で離脱してFMWへ参戦するなど苦境が続いたが、真FMW軍との抗争をメインに何とか興行活動を維持することが出来た。 1997年2月、元WWF(現:WWE)極東地区担当マネージャーで前年にWARで選手兼ブッカーとして参戦していた佐藤昭雄を専務として招聘。この佐藤のラインから6月にはECWと業務提携を結び、レイヴェン、トミー・ドリーマー、スティービー・リチャーズなどのECWの精鋭が興行に参加するなど、全盛期の勢いを取り戻すものと思われた。11月、「FFF(プロレスリング統一機構)」の設立に佐藤が関与して退団。これに呼応する形で真FMW軍も撤退するなど存続の最大の危機を迎える事となった。この時は若手選手の山田圭介(現:バッファロー)が代表に就任し、テコ入れとしてFFFに参加しなかったザ・グレート・カブキを所属選手として三顧の礼で迎え入れ、ファンの支えにより何とか持続する事が出来た。
※この「山田圭介体制」の解説は、「IWA・JAPAN」の解説の一部です。
「山田圭介体制」を含む「IWA・JAPAN」の記事については、「IWA・JAPAN」の概要を参照ください。
- 山田圭介体制のページへのリンク