山田君足と長野君足の同一人物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 06:19 UTC 版)
「長野公足」の記事における「山田君足と長野君足の同一人物について」の解説
山田君足と長野君足は以下理由により同一人物とみられる。 長野氏(長野連)は山田氏(山田宿禰)と同じく忠意を祖とする同族である(『新撰姓氏録』)。 同一人物と仮定して経歴に矛盾がない。史料上、山田(広野)君足は天平勝宝9歳(757年)5月20日以前のみ現れ、長野君足は天平宝字3年(759年)11月16日以降のみ現れる。 位階(従五位下)が一致している。 広野君足が最後に史料に現れる天平勝宝9歳(757年)5月20日からまもない同年5月26日勅において、天皇および后と同じ名の氏や名を名乗ることが禁じられている。これにより、持統天皇の国風諡号である高天原広野姫天皇を避けて、広野から長野と改姓した可能性が高い。
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