山田城落城後の山田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 15:21 UTC 版)
薄葉ヶ原の戦いで那須勢の神田次郎によって辰業が打ち取られ、山田城が落城した。その後、辰業の子である親業が城主になるが、主君である塩谷氏が文禄4年(1595年)に改易されると、山田一族は家伝の記録を焼却して山田城を廃城にし、一部は苗字を黒子と改め各地に四散し、親業は常陸の国笠間に逃れ土着した。
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