屯倉の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 02:23 UTC 版)
記事に現れる屯倉とは大和朝廷の直轄領であり、この時期には武蔵国造の乱の記事に限らず地方豪族から贖罪としての貢進の記載がある。『日本書紀』安閑天皇2年5月条には多数の屯倉設置の記事があることから、この時期は大和朝廷が各地の豪族の政争に関与しながら各地に屯倉を設けていったと解され、記事の4屯倉は大和朝廷の東国支配の拠点をなしたと考えられている。記事内にある4ヶ所の屯倉の比定地は次の通り。 横渟屯倉(よこぬのみやけ) - 武蔵国横見郡、現在の埼玉県比企郡吉見町か。 橘花屯倉(たちばなのみやけ) - 武蔵国橘樹郡御宅郷、現在の神奈川県川崎市幸区北加瀬から横浜市港北区日吉付近か。 多氷屯倉(おおいのみやけ、歴史的仮名遣:おほひのみやけ) - 「多氷」を「多末」(たま)の誤記として、武蔵国多磨郡(たまぐん:のち多摩郡)、現在の東京都あきる野市か。 倉樔屯倉(くらすのみやけ) - 「倉樔」を「倉樹」(くらき)の誤記として、武蔵国久良郡(くらきぐん:のち久良岐郡)、現在の神奈川県横浜市(特に南東部)か。 また『日本書紀』安閑天皇2年5月条の屯倉設置の記事のうち、上毛野国に次の1ヶ所の記載がありこの乱との関係が指摘されている。 緑野屯倉(みどののみやけ) - 群馬県藤岡市付近か。
※この「屯倉の位置」の解説は、「武蔵国造の乱」の解説の一部です。
「屯倉の位置」を含む「武蔵国造の乱」の記事については、「武蔵国造の乱」の概要を参照ください。
- 屯倉の位置のページへのリンク